子育てと要介護認定を受けた親の介護のダブルケアを経験
Aさん (40代・女性)
子育てと要介護認定を受けた親の介護のダブルケアを経験
Aさん (40代・女性)
子育てと親の介護を同時に抱える「ダブルケア」の状況に直面したとき、私はそのつらさや悩みを言葉にできずにいました。家庭内のデリケートな問題であるため、相談をためらい、一人でストレスを抱え込んでいたのです。他人に話すことさえ恥ずかしく感じていました。夫は常に私の健康を気にかけてくれていましたが、日中は仕事で不在でした。子どもがまだ幼く手のかかる時期であったため、私は仕事には就いておらず、子育てと介護に専念する日々を送っていました。
どこに相談すればよいのかも分からず、悩んだ末に日頃からお世話になっている親のケアマネジャーに「疲れました。助けてください」と伝えました。ケアマネジャーは親身に話を聞いてくれたため、家庭の状況を打ち明けることができました。市役所の相談窓口の電話番号を教えてもらい「誰かに頼れることで救われた」と感じました。その後、ケアマネジャーや医師の助言を受け、母を介護施設に預けることを決めました。
市役所の呼びかけで同じ境遇の人たちと出会い、愚痴をこぼし合うことで気持ちがすっきりしました。気軽に話し合える場の存在がとてもありがたかったです。
体験談を語り合う集いや悩みを打ち明ける場では、多くの人が「公的な相談先が分からない」と悩んでいることを知り、支援情報の周知が必要だと感じました。
これから先、ダブルケアは誰もが直面する可能性があります。育児も介護も大変ですが、それが重なることでさらに負担が増します。この現実を多くの人に知ってもらい、「ダブルケア」という言葉を社会全体で理解する必要があると思います。
認知症の妻の介護を経験
Bさん (50代・男性)
私は50代で、認知症を患う妻の介護をしています。妻の異変に気付いたのは、何気ない生活の中で、普段はしっかり者の妻が「私は今、何をしようとしていたんだっけ?」と口にするようになったことでした。これまでとは違う様子に不安を覚え、病院に連れて行きました。検査を受けた結果、妻は認知症と診断されました。
近隣に住む親戚の協力を得て、私は仕事を続けながら介護をすることに決めました。地域包括支援センターに相談し、介護認定を受けた後、デイサービスの利用を開始。
仕事の都合でデイサービスの迎え時間よりも早く家を出るため、朝の送り出しは親戚に協力してもらっています。仕事中に妻のことが気になり集中できないことが多く、仕事と介護の両立の難しさを痛感しています。幸い、職場には事情を理解してもらえたため、定時で退社できるよう配慮してもらっています。
家庭では、認知症の影響で介護中に妻から暴言を吐かれることもあり、私自身もイライラしたり、感情をコントロールできずにつらくなることが何度もありました。認知症の本人と家族が交流できる場があると知り、定期的に参加するようになりました。同じような境遇の人の話を聞いたり、自分の思いを聞いてくれる場所ができてからは、気持ちが随分と楽になり、救われています。
介護は決して一人で抱え込むものではないと実感しています。これからも、無理せずに介護を続けていきたいと思います。
医療的ケア児の育児を経験
Cさん (30代・女性)
20代のとき、医療的ケア児の長男を出産しました。人工呼吸器が必要で、24時間のケアが必要になりました。出産後、仕事復帰は難しく退職しました。約1年半の入院生活を経て、家でのケアに専念することになりました。
同居する親にも、痰の吸引や体位変換、緊急時対応などを学んでもらい、夫婦で昼夜ケアを担当しました。ヘルパーや訪問診療などの公的サービスも利用しました。
訪問看護の看護師は週3回入ってくれて、家族のような存在でいてくれました。話を聞いてくれるのはもちろんのこと、もっと自分を大切にしていいとアドバイスしてくれました。息抜きの時間として、趣味のテニスサークルに通うことも応援してくれました。信頼関係の大切さを実感するとともに、ケアの必要性を一緒に考えてくれたことに感謝しています。
NICUにいた他の医療的ケア児のお母さんと知り合って、気持ちを分かち合えた時が一番ホッとしました。自分一人だけが戦っているのではないとわかったとき、一人ではないと思えました。
地域の大学病院にレスパイト入院のしくみがあり、月に1回、1週間のレスパイト入院を受け入れてくれました。その1週間の間に、自分の美容院や次男の保育園行事といった用事をこなしたり、家族で旅行したりもできたので、レスパイト入院はありがたかったです。
長男が5歳で亡くなった後、復職しました。ケアラーとしての経験は、自分の人生に大きな影響を与えました。医療的ケア児の家族は、重圧の中でケアと心理面の両方で大変です。子どもを亡くすことで心に大きな穴が空きましたが、役割があることで立ち直り、次の行動に移れると感じています。
働くことで得られる社会とのつながりや自己実現の機会は、親としてだけでなく、一人の人間としての尊厳を保つためにも重要です。どんな子どもが生まれても、自分らしく働ける社会に近づけることが大切だと感じています。
※レスパイト入院
自宅で療養されているご本人やご家族などの介護者の休養を目的とした短期入院です。
ご本人やご家族の休息目的や、一時的に自宅での療養継続が困難になった場合に利用することができます。
ヤングケアラーを経験
Dさん (30代・男性)
私は幼いころから家族のケアを担ってきました。父は自閉症スペクトラム障害を抱えており、機嫌を損ねると周囲に当たることが多く、物心がついた頃から無意識のうちに父の情緒をケアするようになっていました。家族が父の機嫌を気にしながら生活していたのを覚えています。
姉にも広汎性発達障害の傾向があり、中学時代からいじめを受け、精神的に不安定な状態が続いていました。私は次第に姉を支える立場になり、親代わりの役割を担うようになりました。周囲もそれを当然のように求めるようになり、私の負担はさらに増していきました。姉は精神病院に入院していた時期もありましたが、現在はグループホームで生活しています。
中学・高校時代の私は、家に安らげる場所がなく、友人の家を転々としながら過ごすこともありました。学校では家族のことを隠さず話していましたが、初めてSOSを出したのは高校2年生の時でした。しかし、相談したスクールソーシャルワーカーには真剣に取り合ってもらえず「相談しても無駄だ」と感じてしまい、それ以降は誰にも頼らなくなりました。
姉の自立支援やグループホーム探しは私が中心となって行いましたが、受け入れ先を見つけるのは簡単ではなく、精神的にも肉体的にも疲弊しました。作業療法士として働き始めた後も、仕事とケアの両立が難しく、一度退職。その後、再就職し現在はフリーランスの作業療法士として活動しています。
家族のケアを通じたケアラーとしての経験は、私の人生に大きな影響を与え、姉の精神疾患を理解するために作業療法士になり、精神医療や福祉サービスの役割、病院と行政との関係性などを学びました。
家族のケアを優先してきたことで、私は睡眠不足や体調不良に悩まされ、今でも自律神経の乱れや頭痛に苦しんでいます。社会の無理解にも直面しました。たとえば、姉の病院のワーカーから「将来は弟さんが面倒を見るのですね」と当然のように言われた時、強い違和感を覚えました。
会社員として働きながら家族のケアを続けることは、肉体的にも精神的にも非常に厳しく、家族のケアと社会的役割の間で常に葛藤を抱えていました。
支援者に求めるのは、「話を聞くだけ」ではなく、本当に必要な支援へとつなげる姿勢です。今後は、自身の経験を生かし、ケアラー支援の環境をより良いものにしていきたいと考えています。